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日本幻視行~糸魚川・ある不在証明書 [日本幻視行]

日本幻視行~糸魚川・ある不在証明書

 糸魚川で「おまんた祭り」を見た。いつだったかNHKの紅白歌合戦で三波春男が「おまんた囃子」を歌い全国に知られた祭りである。かといって富山の「おわら風の盆」のような風情(テレビでしか見たことはないが。いつか見てみたい)があるわけでもなく、日本海沿いの一都市の、最近あちこちでよく見かける「よさこいソーラン踊り」と盆踊りとを足して2で割ったような、といえばいいだろうか。地元には申し訳ないが、取り立てていうほどの祭りではなかった。

 祭りを見るために糸魚川を訪れたわけではなかった。しかし、このことを説明するには長い注釈がいる。

 
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 駅前のメーン通りで繰り広げられた「おまんた祭り」

 糸魚川駅前からまっすぐ2300㍍歩くと日本海に出る。正面に展望台(海を見るだけの展望台!)があり左に大きな防波堤が伸びる。振り返ると新潟の山々が迫ってくる。この奥の山を目指したのである。

 新潟は7月末から記録的な豪雨に見舞われた。よりによって時間的にも空間的にもこの豪雨と山行日程がピンポイントでどんぴしゃり合ってしまった。もちろん、事前の気象予報で知らないわけではなかった。しかし日程の前も後ろも切られていたため、やむなく強行した。降っても1日ぐらいだろう、という甘い予測もあった。

 出発は28日。京都までは晴れていた。金沢は曇りだった。新潟に入ってもしばらく雨粒は見なかった。「越後つついし親知らず」の「親不知」あたりから空があやしくなった。糸魚川に近くなると「長岡より先は不通」と車内アナウンスがあり、ようやく事態の深刻さを認識した。それでも大糸線南小谷から小谷温泉に入り、山を目指すことにした。雨飾山である。

 29日早朝。雨飾荘がなお寝静まったままの時間帯に出発した。雨は降りやまなかった。車道を1時間ほどで登山道入り口に着いた。簡単な小屋があり、車で来た男性が思案中だった。どうやら断念するらしい。まあ、登ったところで何も見えないだろう。しかし私は山を越えたところにある雨飾山荘に予約を入れていた。何も見えなくても、ひとまずそこまで行きたいという思いがあり、湿地帯を越えてブナ林に入った。

 深田久弥は「日本百名山」の「雨飾山」で「ついに私は旧恋の頂に立った」といつになく高ぶった感情を吐露している。深田は3度この山を目指し、ようやく頂上に立ったのである。一度はルートを見失い、一度は4日間雨に降りこめられていた。「旧恋の頂」とは雨飾のことであると同時に、実は1人の女性をめぐる私生活上のことでもあった【注】。 深田は5月の空に立つこの山の姿を「品のいい美しさ」と書いている。

 そんなわけでこの山を目指したが、気象予報は見事に当たってしまい終始雨中の山行となった。頂上に近い笹平に出ると風も強くなり、日本海など見えるはずもなかった。南の小谷から登って北の梶山新湯へと下ったのだが、雨に濡れた下りは滑りに滑った。

 30日は妙高に向かう、はずだった。しかし信越線は豪雨のため全線不通という。これでは妙高の入り口、燕温泉にたどりつく手筈がない。バス便もない。いくらなんでも、もう断念するしか…。そこで冒頭の「おまんた祭り」になるのである。皮肉なことに、この日の午後の糸魚川はいい天気だった。

 まあ、こんなこともあるだろう。もう一度時間を見つけて登ってみよう。北アルプスと日本海を同時に見はるかす眺望は一度味わってみたい。秋の紅葉の頃がいいらしい。

         ◇

 このたび集中豪雨で被害に遭われた福島・新潟両県の皆さんにお見舞い申し上げます。
 

 【注】「百名山の人 深田久弥伝」(田澤拓也著)によると昭和16年、後に文芸評論家となる中村光夫の結婚式で深田は中村の姉志げ子と20年ぶりに再会する。1か月後、2人は雨飾山を目指して小谷温泉に滞在するが4日間、雨が続く。この2週間前に深田は弟の弥之介と反対側(梶山新湯側)からの登頂を試みているが、登山道を見つけられず断念したとある。この山行を契機に深田は文学的パートナーでもあった北畠美代と離婚することになる。「旧恋の頂」という表現には、「火宅の人」としての深田の思いも込められているようだ。しかし、このようなスキャンダルめいた話が事実としても「百名山」の価値が下がるわけではない。

 
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 山を降りた翌朝も山はけぶっていた(雨飾山荘)

 
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登山口の案内板。こんなに緩そうにはなかったけどな


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